Vol.30 「記号」を肩書きに旅立っていかれた4名の方々
第12次支援部隊として気仙沼に派遣しているむすびす(旧アーバンフューネス)社員のレポート
4月30日現在
今回の気仙沼支援で一番胸に深く刻まれたのは、最終日に4名の身元不明の方々をお見送りしたことです。
大曲コミュニティセンター安置所へお迎えに行き、一関市の火葬場へお連れしました。お見送りをしたのは市職員の方々と、火葬場の火夫さん、ボランティアでお経をあげてくださったご住職、そして我々だけでした。
何より切なかったのは、「すぱーく84」など、「施設名+記号」でご遺体に“名前”がつけられていたこと。ご位牌には「新亡 東日本大震災 物故者精霊 霊位」とあり、下に小さく「記号」が添えられていました。
最近発見されたご遺体であれば、すでに年齢や性別も定かでないからでしょう。
ご家族を愛し、愛されていたはずの一人の人間が、氏名で呼ばれることすらかなわず、記号番号で旅立っていくことの悲しさが、胸に重くのしかかりました。
市職員の方々は慣れない手つきながら、しかし丁重にお見送りをなさっていました。
最期まで会うことがかなわなかったご遺族は今どうしていらっしゃるのでしょうか。ご無事であることをひたすら祈ります。次々に炉に納められていくご遺体に向かい、ひと時だけでもご家族の代わりを務めさせていただくつもりで、合掌しました。
津波被害のあった地域は、がれきから強烈なガソリンの焼けたにおい、磯のにおい、そして仏様のにおいが漂っています。しかし、ほんの一本道を隔てただけで、何事もなかったかのような、桜満開ののどかな春の風景が広がっています。
遺体安置所になっているコミュニティセンターには、いまだ家族が見つからない人たちが、重く沈んだ表情で、発見時の服を撮影した写真などを確認されていました。喪服を着て、涙を流しておられる人がいます。かと思うと、隣の建物には公衆浴場があり、入浴後に涼んでいらっしゃる被災者の方々が語り合っておられます。同じ敷地内のテニスコートでは、学生たちが楽しげにテニスをしている姿が見られました。
ここではたった数メートルの差で生と死が隣り合わせです。家族を探して涙している方の気持ちを思うと、よりいっそうやりきれなさを感じました。
津波に襲われた瓦礫の間から、ところどころきれいな水仙の花や土筆が顔を覗かせていました。
人工物は流されても、地中から花は咲く。自然の力強さに圧倒されます。