Vol.14 M7.4余震発生 道路通行止めでご遺体搬送に支障か
第7次支援部隊として仙台に派遣しているむすびす(旧アーバンフューネス)社員のレポート
4月8日20時現在
4月7日深夜に余震が発生し、仙台市宮城野区にいた我々も大きな揺れを感じました。
塩釜港からの津波が懸念されるエリアにいたため、寝台車で仙台駅周辺まで避難。津波警報が解除された午前1時頃になって戻りましたが、現在も電気、ガスなどライフラインが復旧していません。
3月11日の本震では幸いにも大きな被害がないように見えた仙台市内でも、8日の朝が明けて、一目で状況が悪化したことが分かりました。
建物のガラスはあちこちで飛散、道路の地割れ・隆起が多くなり、車で走るとたびたびバウンドします。ガソリンスタンドには再び長蛇の列、コンビニには人があふれ、電卓と紙で清算業務を行っています。
むすびすのメンバーも現在、要請を受けたご遺体を、1回につき1体心をこめて寝台車でお送りしていますが、この棺の数を見ると、このままでいいのか、間に合うはずがないと、焦りと力不足を感じます。
ガスが止まって調理ができないので、我々は支援物資のカレーをコンロで温めて食べさせていただきましたが、物資の足りない一般家庭では困っているのではないでしょうか。
我々がお手伝いしている葬儀社斎場内もめちゃくちゃになりました。安置中のお棺には問題がなかったものの、電化製品が軒並み破損。本日は定例の朝礼も取りやめとなり、復旧作業をお手伝いしました。
東北道の古川IC~岩手県の水沢IC間をはじめ、三陸自動車道や仙台北部道路なども通行止め。一般道も再び通れない場所が増えています。遠隔地の火葬場へのご遺体搬送に支障が出るのではないかと危惧しています。
そんな中、本日は2件ご遺体搬送を担当させていただき、うち1件は身元が判明した被災者の方でした。
お迎えにあがったのは宮城郡利府町「グランディ21」仮設安置所。故人様は40歳代の公務員の方で、お仕事中に津波に襲われ、ご遺体は4月6日に水田の中で発見されたとのこと。翌日に検死となり、本日身元が判明しました。
初めて対面された奥様は泣き崩れ、見ているのもつらいほど憔悴されています。黒川郡のご自宅にお連れした際、大学生ぐらいのお子様方はご遺体との対面を拒否されたが、集まったご親族の方々が口々に「お前たちのお父さんなんだから、顔を見てやりなさい」と強くすすめられ、対面して大きなショックを受けられた様子でした。葬儀担当者が別に同行していたこともあり、自分は何か言える立場ではなかったが、1カ月近く水中におられたことを考えると、大切な人であればあるほど対面はひどくつらいものだったろうと、ひたすら気の毒でした。会館での葬儀を希望されているが、火葬場が決まり、出棺できるまでご自宅でご家族と過ごされるとのことです。これまで何人かのご遺族にお会いしてきたが、心理的にこれまでで一番つらい搬送業務でした。
お2人目は石巻赤十字病院へのお迎えでした。被災地医療の中核を担う場所。混乱は見られなかったものの、駐車場には車が多く、たくさんの人が受診していました(同院HPによると、余震発生直後トリアージエリアを設置し、怪我人等約40名の診察を実施。8日現在、電気は復旧しているが、水道は給水車による対応、ガスは仮設対応で運営とのこと)。霊安室のある地下におりると薬などの支援物資がたくさん保管されており、少しだけ安心しましたが、余震がこれ以上続かないことを祈ります。