Vol.11 火葬場求め、山形へ埼玉へ東京へ
第5次支援部隊として仙台に派遣したむすびす(旧アーバンフューネス)社員のレポート
4月2日20時現在
3月中はご遺族が判明したご遺体を、各地の安置所から葬儀社式場へ搬送する案件が中心でしたが、4月に入って遠隔地の火葬場への出棺をお手伝いするケースが急増しています。清月記さん(葬儀社)の式場5カ所のホールもすでに棺でいっぱいですが、出棺できるのは毎日数体ずつ。その間も新たなご遺体が到着するので、状態の悪いご遺体は増える一方です。
昨日は石巻の牡鹿体育館安置所から若い男性のご遺体を寝台車で搬送中、同乗している故人様のご兄弟に連絡があり、「会いたがっている人がいるので、停めてもらえませんか?」とご依頼がありました。
「こいつはタバコ好きだったから、これを入れてやらなきゃ」。
涙を流しながら納体袋を開けて入れられたのは、一本のタバコでした。
かわいがっていた甥ごさんを突然亡くした悲しさ、納体袋に包まれたまま面影の残らない状態になるまで埋葬してやれなかった悔しさ、ご自身も被災者となり、故郷で親族に囲まれた供養が叶わず、遠くに見送るしかない無念などが、そのたった一本のタバコに込められているような気がしてなりませんでした。
また本日は、3歳の女の子のご遺体を、山形の火葬場までお連れしました。 お預かりした火葬許可証によると、地震が起こった3月11日夕方、石巻市内のコンビニ駐車場付近で亡くなられたとのこと。式場からは、故人様のご両親が同乗。お母様はずっと泣きながら時折下を向いて、遺影写真をじっと見つめていらっしゃいました。お父様は出発の際、感極まったように「なんか…寂しいですね…よろしくお願いします」と一言おっしゃられたきり、その後は遺影を見つめたり、遠くを見たりされていました。
車中会話がなかったので詳細は不明ですが、わざわざ山形県寒河江市の火葬場になったのは、近隣の火葬場が数週間先まで空かないことが原因と思われます。
高速で移動し、山形に入ると風が強くなって気温が下がり、ちらちらと雪も舞っていました。道路脇にはまだ雪が寄せられています。縁もゆかりもない土地で愛娘を荼毘にふすのは、ご遺体の状況と待ち時間を考慮してのギリギリの決断だったことでしょう。ご両親の辛さが、寒風吹きすさぶ山間の町の風景に重なって見えました。
長野から埋葬支援に来たチームは、午前3時に仙台を出棺、埼玉の火葬場で夜9時から火葬をお手伝いし、そのまま長野に帰るといいます。
ご遺族が見つかったご遺体は、いまや遠隔地の火葬場へも、空きを求めて個別に搬送され始めています。今後は搬送がさらに増えるのは間違いないものの、対応できる人員・搬送車両は絶対的に足りません。
週明けからは清月記さんを中心に、身元不明のご遺体の仮土葬も始まります。全国の火葬場や葬儀社、車両会社に、引き続き協力を呼び掛けていきたいと思います。