桑田由美子さん(写真中央)
むすびす株式会社の社長秘書である桑田由美子(くわたゆみこ)さんは、5年前に末期がんと告げられ、余命3ヶ月の宣告を受けました。
ですが彼女は週5日、他のスタッフと同じように出勤し、休日はフリーのカメラマンとして活動しています。
そんなパワフルで前向きに生きる彼女に惚れたフリーライター渡邊瑠依(わたなべるい)さんが、彼女に密着インタビューした取材記事です。
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私の生き方を変えてしまった、由美子さんの生き方。
「ほら、もう今日死んじゃうかもしれないからさ、やりたいと思ったことは今日全部やろうと思って。」
乳がん、ステージ4。
余命3ヶ月と宣告された桑田由美子(くわたゆみこ)さんとの出逢いは、私の生き方を180度変えてくれた。
それまで私が抱えていたコンプレックスがいたくちっぽけに思え、何十年と心の中にたたずんでいた悶々とした感情を、波打ち際の砂に書いた文字が消えるように、サーっと優しく消し去ってくれた。
私と由美子さんが初めて出逢ったのは2019年9月25日のこと。
宣材写真の撮影を依頼した出張カメラマンが、彼女だった。
事前のメールでの打ち合わせ。
相場よりかなり安い料金設定にもかかわらず、着付けからヘアメイク、着物の貸し出し、和傘や手毬などの小物の用意など、何から何まで全てサービスに含まれているというのだ。
さらに「撮影時間は特に縛らない」と、普通に考えたら「何でそこまで?」と思ってしまうほど、採算度外視の料金だった。
お客様の喜びを最優先するその人柄に、私は会う前から惹かれていた。
・・・
撮影当日、着付け準備のために手配したレンタルスペースの玄関前で、彼女と初めて対面した。
かなり小柄でかわいらしい女性が、自分の背丈の半分以上もある大きなスーツケースを引いていた。
たまに、その人がいるだけで場の空気が明るくなるという人がいるが、由美子さんはまさにそんな人だった。
屈託のない笑顔で、初対面の緊張も一瞬で解きほぐしてくれた。
最初の自己紹介で
「抗がん剤の治療中で、この髪、ウィッグなんです。」
と事も無げに言う。
事前のやり取りでも病気の事は軽く紹介されていたが、これまで“がん”という病気とは縁遠く無知だった私は、一人で重たい荷物を持って数時間の写真撮影ができるほどには、病状も回復傾向なのだろうと思ってしまっていた。
だが、決してそんなことはなかった。
目の前にいる小さなカメラマンは、今この瞬間もリアルに病気と闘っていたのだ。
・・・
準備が終わり、アパートから車で10分ほどの距離にある撮影場所、浅草寺へ彼女の車で向かった。
到着し、車から降りて50歩ほど歩くと「もう足が痛くなってきちゃった。」と明るい声で漏らす。
抗がん剤の副作用だ。
そんな状態なのに申し訳ないという私の心配をよそに、彼女は先頭をきってすたすたと歩く。
5年間、抗がん剤と付き合ってきた歴史を背負っている彼女の小さな背中は、とても力強く見えた。
大きなレンズの一眼レフを2台両肩に抱え、彼女はシャッターを切り始める。立ったりしゃがんだり、時には地べたに寝そべったりと、足の痛みなどみじんも感じさせない。
たっぷり2時間の撮影が終わり、今撮ったばかりの写真をSDカードにまとめる。
目をつむっていたりブレている写真も含めて、全ショット、その場でプレゼントするのが由美子さんのポリシーだ。
「失敗した写真を渡すのはプロとしてどうなんだという声もあるけど、そんな写真もお客さんにとっては好きな写真になるかもしれないし、選別や加工に時間をかけるより、撮ってすぐに写真を見られたほうが嬉しいと思うから。」
1日、1分、1秒の時間の重みを誰よりも体で理解している彼女だからこそのプロ意識だ。
・・・
「余命3ヶ月、5年後生存率は15~20%」
とお医者さんに言われてから5年と9か月目を生きている彼女にとって、今日1日を生きるということは、霧の山道を歩くようなものだろう。
足場を確かめながら、一歩一歩、大事に踏み出すように、1日1日と真剣に向き合い、歩む。
そんな彼女の言葉「やろうと思った事は今日全部やる」は、
「まぁ今度でいっか。」が口癖だった私の性格と人生観を根本から変えてくれたのだ。
がん1年目、絶望と苦悩の末に生きる勇気を与えたもの。
がんが発覚したのは、2013年12月28日。
体調不良が続き、病院に行った。
風邪、咳喘息、肺炎・・と誤診が続き、症状は酷くなる一方。
ようやく辿り着いた答えは、想像すらしていなかったものだった。
くしくも、病名を告げられたその日は、夫の一人(かずひと)さんの祖父のお葬式の日だった。
享年96歳。
一人(かずひと)さんと結婚した23歳の頃から、家に頻繁に遊びに行くほど大好きなおじいちゃんだった。
この日は大きな悲しみが2つ同時に訪れた、生涯忘れられない日となった。
・・・
余命宣告からは、悲しみに暮れる暇も迷う暇もなく、半月後には抗がん剤治療が始まった。
一番最初の抗がん剤は毛が抜ける副作用があり、抗がん剤の中でも一番強い薬だった。
投与後、副作用が出始めてからわずか3日で、毛という毛が全部抜けた。
髪の毛も、まゆ毛も、まつ毛も。
物心がついてから、ずっと伸ばしていた髪の毛。
幼稚園の頃、将来の夢を聞かれて「お姫様」と答えた。
ドジキャラでみんなを笑わせるけど、変顔は絶対にしない。
映りを気にしてカメラアングルを指定する。
小さい頃から“かわいい女の子”でありたい彼女にとっては、体が弱ることよりも、“かわいくなくなっていく”ことの方が耐えられなかった。
「爪もぼろぼろとれて生えてこないし、口の中は口内炎だらけ。体重はどんどん落ちる。」
鏡に映る、もはや人間とも思えない自分の姿を見ては、ただ毎日泣いていた。
こんな姿になってまで生きる意味がわからず、睡眠薬を大量に飲んだこともあった。
周りに生きる希望や喜びを与える生き方がしたいと前を向くこともあったが、“がん1年目”は、笑顔を作るだけが精いっぱいだった。
・・・
そんな由美子さんに生きる勇気を与えたのは、家族はもちろん、周りの仲間からの励ましも大きかった。
リビングの壁には、会社の社員約100人全員で折ってくれた千羽鶴が飾られている。
「1羽1羽、針で糸を通すところの動画も一緒に贈ってくれて、それがすっごく嬉しかった。だから、頑張るしかないかなって思った。」
その隣には、近所のママ友からもらった千羽鶴が、さらにその隣にはゆうに50個は超えるもらったお守り達が、飾られている。
「死にたいと思うのは、自分軸がすごく強く働いている時。
でも自分一人の命じゃないもん。
私の命だけど、一人で生きているわけじゃないから、勝手に死んだらだめなんだよね。」
生きていたから、娘の奈々実(ななみ)の高校の入学式が見られた。
成人式も、見られた。
次の夢は、奈々実が在籍するロシア国立ペルミバレエ学校の卒業式で、袴の着付けとヘアメイクをすること。
がん6年目を迎えた由美子さんの目は、生きる希望で輝いている。
がん6年目、なぜそこまでして活動的に生きるのか。
現在の由美子さんの生活は、病気になる前と何ら変わらない。
むしろ多忙を極めている。
週5で会社に出勤し、休みは水曜と日曜。
水曜は病院に行き、日曜はいつも撮影の仕事だ。
一般的に抗がん剤治療では副作用の症状が辛いため、入院する人が殆どだ。
自宅療養を選んだとしても、彼女のように活動的に生活している人は極めてまれだ。
あちこち痛む体を奮い立たせ、なぜそこまでして、これまでと同じ生活を貫けるのか。
「笑顔をどんどん繋げていく事が凄く生きがいになる。
私のできることで笑顔になってくれたら、私も笑顔になれる。
私にとっては、食事療法で我慢するより、笑う方がきっと体にいい。」
玄米菜食にも何度も取り組んだがどうしても続かなかった彼女は、自分らしい、がんとの闘い方を見つけたのだ。
そうして人を笑顔にするために始めたのが、カメラマンの仕事だった。
しかし、いい事ばかりでもない。
親切心は、時に心ない人にズタズタに傷つけられる。
貸した着物に紅茶をこぼされ、謝罪も弁償もない。
撮影後にお代をいただく際、手持ちがないからと振込してもらうことになったが、振込まれない。
作務衣を貸し出し、返送をお願いしたものの、一向に返ってこない。
こうした事が続き、一度は辞めようと思った事もある。
「でも、大体はいい人だから。
落ち込んでいる日でも、やっぱり明日が撮影だと思うと元気になれる。」
何度裏切られても、明日はいい人に出会えると信じて、彼女はまた撮影に出かける。
だが最近はうまく歩けなくなり、夫や娘、友達に同行してもらっている。
「いい歳してって思われるかもしれないけど、夫に手を繋いで支えてもらう。」
一人で撮影に行けなくなっても、周りの助けを借りながら、彼女は笑顔を繋げ続けるのだ。
「余命宣告に負けない」いつも笑顔でいる強さの秘訣|後編」は、近日公開予定です。