無口なヒーローに最高の賛辞を
79歳で旅立たれた故人様のご趣味は将棋。
勤めていた会社の社長様からご指導を受けて、若い頃から腕を磨いてこられました。
埼玉県南東部で開催される将棋大会には、市の代表として選出されるほどの技量をお持ちでした。
中学校を卒業して上京されてからは、お母様のため、ご兄弟のため、ご結婚後はご家族のために仕事一筋で働き抜かれた故人様。
奥様とお子様たちが「感謝」「労い」「尊敬」を込めてお見送りいたします。
家族のために黙々と
故人様のご出身は「六道堤の桜」で有名な長野県伊那市。
お生まれになってすぐお父様を亡くされ、中学校を卒業すると同時に実家の家計を助けるために東京へ働きに出られました。
ご就職先は文京区にある大手製版会社、60歳で定年を迎えるまでの45年間を勤め上げました。
奥様との出逢いはお見合い。ご親戚の紹介で初めてお会いしてから約1ヵ月後にはご結婚されたそうです。
ご性格はご家族から見ても真面目で、お仕事がどんなに大変なときも、それから逃げることなく職務を全うなさいました。
奥様は「家族のために文句も言わず黙々と働いてくれました」とお話しになり、ご長女様は「父には何不自由なく育ててくれて、ありがとうと伝えたい」とおっしゃいました。
夫婦共通の楽しみ
ご夫婦で楽しまれていたご趣味はパチンコと卓球。
昔のパチンコ店には子供も気軽に入店できたので、ご家族は連れ立ってパチンコに行かれたそうです。
奥様のご友人に勧められて始めた卓球は、故人様が体調を崩した後も続けていらっしゃいました。
卓球をしているときは不思議と体が動いたそうです。
奥様は「ラリーをするくらいでしたが、本人は喜んでやっていました。楽しかったようです」とお話しくださいました。
しかし、コロナ禍で老人福祉センターが休館となり、ご夫婦での卓球も出来なくなりました。
いくつもの持病があり、3年程前からは何度か骨折されて入退院を繰り返された故人様。
しかし、ご家族に病気の辛さや弱音を語ることは決してありませんでした。
大勢の人達から慕われて
無口で我慢強かった故人様へご家族から「大変だったね」「ご苦労様」「ありがとう」の感謝と労い、尊敬のお気持ちを表した静かで穏やかな空間でお見送りいただきました。
祭壇横に飾られた「思い出パネル」は、ご夫婦の思い出、ご家族の肖像、将棋に打ち込む故人様のお姿などで構成いたしました。
ご病気のため好物の甘味を控えていらした故人様へ、ご近所の行きつけのケーキ店からモンブランをお取り寄せし、お好きな珈琲と一緒にお手向けいただきました。
告別式には一般の方も大勢ご参列いただきました。式場内に故人様と最後のお別れをする皆様がお集まりになり、お柩を囲んで思い出話しをされていました。
故人様は無口な方だとお伺いしておりましたが、お式を通して親交の深い皆様が大勢いらっしゃる故人様のお人柄が偲ばれました。
担当エンディングプランナー 清野 勇次
ご葬儀後、奥様にお式の感想をお伺いすると、サプライズでモンブランを用意してもらったことや、立派な生花祭壇を準備してもらったこと、打合せの説明が大変分かりやすかったことなど、むすびすのお手伝いにとても満足していますとのお言葉を頂戴いたしました。
また、「思い出パネル」は自宅用の小さいサイズを貰ったけれど、式場に飾ってあった大きいサイズを貰ってくれば良かったと思うくらい気に入っていると仰っていただきました。
内容とお写真は、ご家族・会社様のご了承を得て掲載させていただいております。
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