我が家の太陽
94歳で旅立たれた故人様。奇しくも15年前に他界されたご主人様のお誕生日でした。
とにかく明るいご性格だったという故人様は、ご家族にとって太陽のような存在。
ご家庭でもご近所でも故人様を慕って人が集まりました。
介護施設にご入居されてからも面倒見の良さは変わることなく、故人様のまわりはいつも笑顔と笑い声に満ちていたそうです。
家にあっては親兄弟のために
群馬県吾妻郡の農家で7人兄弟のご長女としてお生まれになった故人様。
ご長女であったことから幼い兄弟たちをおんぶしながら家業を手伝う働き者の少女でした。
尋常中学をご卒業後は、地元の沢渡温泉にある旅館へ住込みで働かれました。
沢渡温泉は源頼朝が入浴したと伝えられる湯治場で、故人様が旅館で働かれていた当時は歌人の若山牧水をはじめ多くの文人が訪れて栄えていたそうです。
昭和30年に新潟出身のご主人様とご結婚して墨田区に移られました。上京されてからも年下のご兄弟たちを下宿させて面倒を見ていました。
嫁しては家族のために
ご長男が誕生されるとご夫婦は千葉県松戸市に一軒家を購入しました。
ご主人様は酒造メーカーに勤務されて、故人様はご自宅で天ぷら屋さんを開業。
時には揚げたての天ぷらを抱えて行商にも出られたそうです。
その後は建設会社の独身寮のまかないさんとして若者たちの健康を気遣いながらご家庭を支えました。
晩年は脳梗塞で倒れたご主人様の介護のため、長野県までリハビリに付き添い献身的に尽くされました。
ご主人様が他界した後は独りでお暮しでしたが、心配したご家族の勧めで介護老人保健施設にご入居されました。
我が家の太陽は沈まない
94年の人生のほとんどを親兄弟のため、家族のため、まわりの人たちのために尽くされた故人様。
「明るくて面倒見のいい母のまわりには自然と人が集まって、皆を温かい気持ちで包み込んでくれる太陽のような存在でした」と喪主を務められたご長男様はおっしゃいます。
故人様をお見送りする式場の正面いっぱいに“我が家の太陽”であった故人様がご主人様と一緒に微笑まれるお写真をメモリアルスクリーンにして設置。
ご主人様やご家族との楽しい思い出や、大切に育てられていた草花のお写真もレイアウトいたしました。
長年にわたって料理のお仕事に携わられた故人様のおふくろの味は、今ではご長男様に引き継がれています。
親から子へ受け継がれた味を、さらに後の世代に継承していく誓いの意味も込めて、故人様の得意料理の一つである“もつ煮込み”をご長男様にお作りいただき、お式にご持参していただきました。
担当エンディングプランナー 平川 雅彦
喪主様をはじめご家族の皆様はメモリアルスクリーンや式場の飾りなど全てに感激していただきました。
開式までは故人様のお柩を囲み映像をご覧になったり、思い出話しをしながらお過ごしいただきました。
お式の読経後、故人様が働いていた沢渡温泉の旅館の方から届いたお手紙を拝読。
内容は「我が家の太陽」がピッタリのお人柄が伺えるものでした。
お別れでは、ご夫婦のお写真、お洋服、ぬいぐるみ、ご長男様がお作りになった煮込みなどをお手向けして、最後に喪主様とお孫様たちが静かに気持ちを伝えてお見送りされました。
内容とお写真は、ご家族・会社様のご了承を得て掲載させていただいております。
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