旅立ちのドレス姿
73歳でご逝去された奥様がこの度の故人様。
闘病生活が長く、できればもう一度最後にキリッとして歩かせてあげたかったという旦那様。
だからこそ旅立つお姿は、向こうでドレスを着て歩く奥様を感じられるように、ご夫婦にとって思い出のドレスをお柩にお手向けして頂きました。
ご夫婦のこれまで
故人様は長野県安曇野市にて二人兄弟のご長女として生まれ育ちました。
学業を終えたのちは建築資材のメーカーに勤務し、25歳でご結婚されるぐらいまでお過ごしになられました。
旦那様の出身は東京。
出会いは旦那様の父の再婚相手が安曇野市の出身。
その家族の紹介のようです。
結婚されお二人のお子様に恵まれ、育児とパートをしながら市川市に在住。
旦那様のお仕事は羽田の航空会社で飛行機の整備師。
そんなご主人を故人様はずっと支えて来られました。
アメリカでの生活
その後は旦那様の仕事の関係でアメリカに4年半ぐらい住まわれたそうです。
故人様は当初、アメリカでの生活環境になかなか馴染めないでいたようで、4年ぐらいというと慣れてきた頃に帰ってきた感じだったようでした。
アメリカでの生活の中でパーティーに参加される機会もあり、旦那様はパーティーに出るのもお仕事。
それにつられてご夫婦で参加されていたようですが、参加される奥様方の中でもピラミッド型の序列ができそういった環境だったそうで、とても苦労されたそうです。
旦那様の想い
アメリカでの生活は勿論、引っ越しが多い人生だったが、何も言わずに信じて後ろをついてきた故人様に感謝したいという旦那様の想いが伝わりました。
アメリカでのパーティーの際に着ていたドレスも現在も残っているようです。
性格的にパーティーでの付き合いは好きではなかった故人様ですが、夫婦の思い出の一つとしてのアイテムです。
こちらのドレスは当日納棺後にお柩の中にお手向けを希望されました。
また、お手向けの理由のもう一つとして、闘病生活が長く、できればもう一度最後にキリッとして歩かせてあげたかった。
だからこそ旅立つお姿は、ドレス姿で歩く故人様を感じられるような旦那様の希望が込めてお手向けされました。
担当エンディングプランナー 平川 雅彦
当日ご家族様は祭壇やメイクにとても満足されていました。
持参されたスナップ写真を飾り、参列した親族の方々が手に取り故人様を偲んでいました。
お花は綺麗に揃えながらドレス姿の故人様を埋め尽くすように手向け。
最後にはお気持ちを伝えてもらってから蓋閉めへ。
その後メッセージ棺の安曇野へメッセージの代わりに思い出のスナップ写真を沢山はめてもらう案内をすると「俺これがいい!」「私この写真好きー」などお一人お一人お好きな写真を選ばれ、時代を遡り歓談ムードで思い出を振り返りながら、特に喪主様は古い写真を中心に無言で頷きながらはめていらっしゃいました。
安曇野の棺いっぱいにはめられた故人様の思い出写真を皆様でご覧になりながら暫く昔話しをされる和やかな時間となりました。
内容とお写真は、ご家族・会社様のご了承を得て掲載させていただいております。
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