• 2011.4.13毎日新聞
  • 「グランディ21」(利府町)は、たくさんの棺が並ぶ仮設安置所に。
  • 津波で被災した東松島市。瓦礫の中からは、たくさんの家族の思い出の品が見つかる。
  • 仮設安置所となった「グランディ21」アリーナの外で一人、お経をあげる僧侶。

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首都圏から、江戸川区の業者

亡くなった娘の七五三の記念写真をじっと見つめる母、おいっ子の亡きがらに1本のたばこを添えるおじ–。東日本大震災による死者は1万3000人を超え、遺体の扱いは現地の葬儀社などだけでは対応できず、東京の業者も現地に赴き、遺族に寄り添って納棺などを手伝っている。こうした「おくりびと」たちも、やるせなさや十分な供養をしてあげられない悔しさを、遺族と共にかみしめている。

東京都江戸川区の葬儀社「アーバンフューネス」(中川貴之社長)。同社は江東区の事務所ビルが地震で被災し使用できなくなったが、震災1週間後から順次、社員を仙台市に派遣し、被災して手の回らない地元の葬儀社を支援している。犠牲者があまりに多く、火葬場の能力が追いつかないため、傷みのひどい遺体を遠方の火葬場に搬送する業務を担っている。

同社社員の古家崇規さん(38)は今月1日、若い男性の遺体を宮城県石巻市の牡鹿半島から仙台市に搬送中、同乗していた家族に連絡が入り、車を止めた。軽トラックで追いかけてきたのは、男性を可愛がっていたおじ。「これを入れてやらなきゃ」。遺体を納めた袋をそっと開け、故人が好きだったたばこを1本添えて涙をこぼした。「親族も被災し、故郷での供養もかなわない無念さが込められているようだった」と古家さんは言う。

翌2日、3歳の女児の遺体を大人用のひつぎに納め、仙台市から山形県寒河江市まで搬送した。車中、母親は七五三の着物姿の娘の写真を涙目でじっと見つめ、父親は振り絞るように「なんか、寂しいですね……」と言ったきり。窓の外は雪の舞う冬山。古家さんは「ご両親のつらさが風景と重なって見えた」。

数十人の遺体が安置された仙台市の斎場で5日、ドライアイスを交換していた同社社員、野田和宏さん(34)は手を止めた。ひつぎの上に、真新しい青色のランドセルが置かれていた。「亡くなった子が、親と一緒に選んだ時の光景が思い浮かんだ。同じ子を持つ親として胸が詰まった」

同社社員の野口正さん(33)は遺体を載せた車の中で、同乗したその妻からとめどなく語りかけられた。「私の場合は主人が戻って来てくれたからまだ幸せです」「人間、究極になると笑うしかない」。そんな話を続ける妻の姿に、野口さんは「あまりのつらさに『そうですね』と相づちを打つこともできず、私たちは無力だと感じた」という。

被災地では今も身元が確認された多くの遺体が搬送を待っている。同社は活動を続ける予定だ。

一方で、社員たちが心配するのは「遺族の感情を置き去りにしたままの復興」だ。安置所に貼り出された遺体の顔写真などを頼りに行方不明の肉親を捜す人たちはまだまだ多い。4日まで現地で活動した同社社員の宮沢泰正さん(31)は「家族や帰る家、町まで失った遺族には、まだ悲しみを感じる余裕すらない。町は復興し始めるだろうが、まさにこれから遺族の心のケアが必要になってくる」と、遺族の気持ちを案じている。【大場弘行】

毎日新聞 2011.4.13から抜粋