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かまやつさんが、力強く宣言した復帰メッセージとは

歌手のムッシュかまやつこと、かまやつひろし(本名:釜萢弘)さんが2017年3月1日、都内の病院で亡くなっていたことが分かりました。78歳でした。

死因は「すいガン」。2016年9月には肝臓がんで入院中であることを所属事務所が発表していました。しかし、ガン公表時にかまやつさんは、所属事務所を通して「絶対復活するから心配しないでください! それまでいろいろご迷惑おかけします!」と復帰への強いメッセージ発表していました。

2016年12月8日には、ザ・スパイダースでともに活動した堺正章さんのライブに飛び入り参加し、力強い歌声を披露していました。

歌手としてはもちろん、司会業や俳優業などもこなし、マルチな才能を発揮していたかまやつさん。芸能界に与えた影響は計り知れません。

日本の音楽シーンに多大な影響を与えたかまやつさん

釜萢弘(かまやつひろし)さんは、1939年1月12日、日本におけるジャズの草分け的存在であるディープ釜萢(かまやつ)さんの子供として生まれました。

音楽一家に生まれ、幼少期より音楽に親しんでいたかまやつさんが、音楽関係の仕事に就くのは自然な流れでした。

青山学院時代にはカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。米軍キャンプを中心に活動し、力を付けていきます。

1960年代には堺正章さん、井上順さんと共にグループサウンズバンド「ザ・スパイダース」の一員として活躍。ヴォーカル&リズムギターを担当し、『夕陽が泣いている』『あの時君は若かった』『バン・バン・バン』など、数々のヒット曲を世に送り出しました。

1970年にザ・スパイダースが解散した後は、ソロシンガーとして活動。吉田拓郎さんから提供を受けた『我が良き友よ』がオリコン月間・週間チャート1位を獲得し、大ヒットを記録します。

音楽活動の傍ら、テレビドラマ『時間ですよ』、映画『戦国自衛隊』『ゴジラ』などに俳優としても出演。テレビタレントとしてもマルチな才能を発揮します。

CM曲の作成や歌手への楽曲提供など、活動範囲を広げていきます。その後も実験的な楽曲を次々と制作し、若いアーティストとも積極的に共演をすることで、多くのミュージシャンに影響を与えていきます。

晩年も衰えることなく、精力的に音楽活動をしていましたが、2016年9月に体調不良を理由に予定されていたコンサートへの出演を取り止め。しかし、音楽への飽くなき向上心は尽きず、ガンを公表したあとも仕事は続けていました。

かまやつさんの訃報に、ザ・スパイダースのメンバーやユーミンらから悼む声が続々

長年、音楽界をリードしてきたかまやつさんは、芸能界の交友関係も広く、各界から逝去を悼む声が続々届いています。

ザ・スパイダースのメンバーでタレントの堺正章さんは、メディアのインタビューに応じ、「かまやつさんとのことがぜんぶ思い出になってしまいました。心が押しつぶされそうです。共に傷つき、喜びを分かち合って、苦楽を共にした1人で、とても大きい存在でした」と心境を明かしました。

堺さんは3月2日に親族で行われた納棺式に立ち会っており、「十分に人生をおう歌したんだなと思える穏やかな顔でした。あの笑顔をもう見られないと思うととてもつらい」 と、時折涙を見せながら、語っていました。

同じく、ザ・スパイダースのメンバーでタレントの井上順さんは、所属事務所を通じてコメントしました。
「スパイダースが多くの人たちに愛されたのもかまやつさんの存在があったから。私自身もかまやつさんに育てていただきました。スパイダースの世界をつくり上げたオリジナル曲、ダンス、ミリタリールックをはじめとするファッションなど、スパイダースは“かまやつさんありき”でした」

長年親交があるシンガーソングライターの松任谷由美さんも、コメントを発表。
「かまやつひろしさんは、14才のときから知っている、私の恩師であり、大大大、、親友でした。風のように生きるおしゃれを、いつも教えてくれました。私もいつか風のように消えて、ムッシュのいるところへ行きたい」と、敬意と感謝を示しました。

かまやつさんのいとこにあたる歌手の森山良子さんも、所属レコード会社を通じてコメントし、人柄を偲びました。
「たくさんの良き仲間たちに恵まれ、自分の音楽を大切にギリギリまで活動出来たこと。病室でもギターを弾き唄い、最後まで音楽を肌身離さず、どんな時もムッシュらしい一生だったと思います」

このほかにも、ダイヤモンド・ユカイさん、綾小路翔さん、GLAYのTERUさん、堀江貴文さんらが、追悼の意を表しました。

かまやつさんのお別れ会は「スパイダース葬」に。堺正章さんが発表

かまやつさんの葬儀は、家族や親族以外には、逝去を知らせず行う「密葬」で営まれました。後日改めて、ファンも参列できる「お別れ会」が行われる予定です。

密葬では、家族や親族だけで故人との最期のお別れの時間をゆっくり過ごし、お別れ会でファンも含めて、偲ぶ時間を共有できるこの流れは、最期に別れを惜しみたいファンが多い著名人の葬儀としては最適と言えるでしょう。

最近では、一般の方でも、密葬の後にお別れ会を開く方がいます。お別れ会は、読経や焼香などの宗教色がない、自由なお別れのかたちなので、「故人らしさ」が表れているものが多く見られます。「故人らしさ」が表れているお別れ会の例を紹介します。

俳優・藤村俊二さんのお別れ会

2017年1月25日に心筋梗塞による心不全のため82歳で亡くなられた藤村俊二さん。東京・南青山で経営したワインバー「O’hyoi’s」の木製看板や赤ワインのほか、シガー、万年筆、老眼鏡など、藤村俊二さんが愛用した数々の品が祭壇に飾られました。また、周囲の引き立て役として輝きを放っていた藤村俊二さんらしく、遺影の周りにはかすみ草やローズマリーで彩られました。

日本レコード協会元会長・石坂敬一さんのお別れ会

2016年12月に71歳で亡くなられた石坂敬一さん。そのお別れ会が2017年2月8日に東京都港区の青山葬儀所で営まれ、約2300人が参列しました。日本レコード協会で会長を務めていた石坂敬一さんらしく、祭壇に飾られた遺影には巨大なレコード盤をかたどったものが採用されました。会に参列した歌手の長渕剛さんは、自身の曲「12色のクレパス」を熱唱し、故人への感謝の気持ちを伝えました。日本の音楽業界の発展に貢献した石坂敬一さんのお別れ会にふさわしい“華やかな式”になりました。

堺正章さんは、かまやつさんのお別れ会についても明言しています。ザ・スパイダースの元メンバーや親交の深いミュージシャンを集めて、音楽を取り入れた「スパイダース葬」を計画しているということです。きっと「かまやつさんらしい」お別れ会になることでしょう。

淡路恵子さん葬儀

一方で、淡路恵子さんの葬儀のように、ファンの方も参列できるスペースを用意し、お別れ会を行わない場合もあります。

淡路恵子さんの葬儀の詳細を見る

ムッシュかまやつさんのご冥福をお祈りいたします。

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