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元横綱・千代の富士こと九重親方が61歳で逝去

千代の富士の四股名で活躍した九重親方が、7月31日、すい臓がんのため、東京都内の病院で亡くなりました。61歳でした。

九重親方は、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した「昭和の大横綱」。鋭い眼光と厳しい取り口から、「ウルフ」というニックネームで親しまれました。

全身を筋肉の鎧でまとった鍛え上げられた小柄な肉体で、大柄の力士を次々となぎ倒していく様は、見るものを魅了しました。

そんな九重親方は、1955年6月1日北海道松前郡福島町で漁師を営む家で生まれました。少年時代から、実家の漁業の手伝いをしていたことで足腰が鍛えられ、運動神経も抜群。元横綱・千代の山にスカウトされ中学3年で九重部屋へ入門しました。

元横綱・千代の富士が死去。「ウルフ」のニックネームで親しまれた彼の人生とは

千代の富士の偉大な功績。横綱として20年も相撲界をけん引

昭和45年の秋場所に初土俵、昭和50年に新入幕を果たした千代の富士。昭和56年の初場所で当時の横綱・北の湖との優勝決定戦に勝って初優勝。同年の名古屋場所で2回目の優勝を果たし、第58代の横綱となりました。

平成3年夏場所、貴花田(現貴乃花親方)に敗れ、引退を表明するまで20年あまり、相撲界をけん引し続けました。引退会見の涙をこらえながらの「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」という言葉は名台詞として、今でも語り継がれています。

現役生活で、通算1045勝、横綱在位59場所、優勝31回、幕内807勝、連勝記録53連勝など、輝かしい記録を残しました。

引退後は、年寄、陣幕を経て、九重部屋を継承し、大関・千代大海など多くの幕内力士を育てました。昨年には、東京・両国国技館で赤い綱を締めて還暦を祝う土俵入りを行い、現役時代さながらの引き締まった体を見せてくれました。

元横綱・千代の富士が死去。「ウルフ」のニックネームで親しまれた彼の人生とは

過酷なトレーニングで鋼の肉体に。それでも病気には勝てなかった

千代の富士と言えば、鍛え上げられた筋肉質な締まった体が有名でした。実は、このような肉体は元来持っていた肩の脱臼癖を克服するために生み出されたと言われています。

医者のアドバイスもあり、先天的な脱臼癖を克服するため、肩周りの筋肉を徹底的に鍛えました。上半身だけでなく、下半身の筋肉も凄まじく、姿勢を一切崩さないバランス力など、土俵入りの美しさには定評がありました。

小柄ながらも鍛え上げられた肉体で、数々の名勝負を繰り広げてきた千代の富士。現役時代はお茶の間をくぎ付けにしました。

「千代の富士vs北の湖」
NHKが昭和56年1月25日に中継した千代の富士が北の湖を破って初優勝した初場所千秋楽の平均視聴率は52.2%(ビデオリサーチ調べ)。瞬間最高では65.3%。この数字は大相撲中継では、歴代トップの数字です。本割では吊り出しで敗れて全勝優勝こそ逃すものの、優勝決定戦では北の湖を右からの上手出し投げで下し、幕内初優勝を果たしました。

「千代の富士vs北勝海」
1989年7月場所、千代の富士と北勝海で史上初の同部屋横綱による優勝決定戦に。結果は千代の富士が勝利し優勝。対戦後は二人とも「今後は二度とやりたくない」とコメントを残したそうです。

「千代の富士vs寺尾」
平成元年11月場所。寺尾が得意の突っ張りを続け、それを全て受けたうえで、相手の背後に回り持ち上げて叩きつけた豪快な一番。まさに「横綱相撲」という、最強の男にふさわしい戦いぶりでした。

数々の名勝負を演じてきた千代の富士。31回の優勝のうち、30歳を過ぎてからの優勝が19回にも及ぶというのは驚きです。

そんな最強の男・千代の富士でさえ、病気には勝てませんでした。2015年9月、すい臓がんの手術を受けたことを明らかにし、闘病生活を送ってきました。亡くなる1カ月前には、部屋の稽古に急激に痩せた姿で現れ、周囲は驚いたそうです。

元横綱・千代の富士が死去。「ウルフ」のニックネームで親しまれた彼の人生とは

王貞治さんや北の富士などから悼む声が

九重親方の娘で、モデルの秋元梢さんは、7月31日夜、ツイッターで、
「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と、父の死を悼みました。

ソフトバンク・王貞治球団会長
「大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします」(スポニチ)

千代の富士の師匠・北の富士氏
「3年前は大鵬さん、そして北の湖さん、千代の富士。強い順番に逝っちゃうんだなぁ」(日刊スポーツ)と、先に逝く弟子を悲しんでいます。

漫画家・やくみつるさん
「闘志を前面に出して相手に食らいついていく姿勢やアスリートのような筋肉質な容姿は、それまでの力士にはないものだった。相撲界の新たな時代が始まると、見ていて胸の高鳴りを感じた。昨年亡くなった北の湖親方といい、一時代を築いた力士の早過ぎる死に、強い無力感、脱力感を覚える」(スポニチ)と、コメント。

地元の方を含め、各方面から九重親方が亡くなったことについて、悲しむ声が数多く聞かれました。

お通夜・告別式は九重部屋で

千代の富士の九重親方の通夜は8月6日、告別式は7日に、ご家族や関係者だけで、いずれも東京・墨田区にある九重部屋で営まれます。現在、一般の方も参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているそうです。

元横綱・千代の富士が死去。「ウルフ」のニックネームで親しまれた彼の人生とは

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